昨今、不倫が一つのブームと呼ばれる様な社会的な風潮があり、良し悪しはさておき、芸能界や有名人の間でも非常に多くなっている印象を受けます。
それはSNSの普及が進み、多くの人が自分から情報発信を出来る時代になり、今までよりも見つかりやすくなっていることにも起因しているかもしれません。
昭和の時代を生きた人からすると、最近の規制の多い社会は非常に生きにくいと感じているかもしれませんが、昭和よりももっと前はどうだったのか。
少し遡って、不倫が時代においてどういった立ち位置で、処遇を受けていたのか見てみましょう。
今の世の中で不倫をしてしまって、社会的制裁を受けたり、お金を払うなどの道義的責任を問われる事はあっても、死んだりするような事はありませんよね。
今の日本は法事国家であり、不倫をしたからといっても法の範囲の中で責任を取るということです。
しかし…
江戸時代は不倫は「密通」と呼ばれて、今では考えられない様な思い罪が待っていました。
奉行所に不倫の事実を届け出ることで「斬首」、簡単に言えば首をはね落とすという事ですね、そういった厳罰が行われていたのです。
江戸時代は家柄を重んじる時代でしたので、内々に示談交渉の様な形で金銭で方をつけるという事もあったとは思いますが、社会の制度の中で「密通」は「斬首」であるという事が認められていたのです。
そして…更に驚くべき事に!
江戸時代は不倫をした妻は殺してしまう事が許されていました。
そして不倫相手の男性を「女敵討」として、殺してしまう事も許されていたのです。
今の時代では全く想像もつかない事ですが、こういった歴史も数百年前には存在していたのです。
また「女敵討」(不倫相手の男性を殺す事)は武士の身分を持っているものにのみ許された制度であり、士農工商と呼ばれた江戸時代の身分制度の中でも優遇をされた武士だけに許された、
あくまでも特別制度とも言え、武士以外の階級の人がする事は禁じられていました。
そして今の時代では多くの非難を浴びる事になるでしょうが、
理不尽ですが、殺す事が許されるのは妻が不倫をした時だけであり、夫が不倫をしたとしても妻が相手や夫を殺す事は許されていませんでした。
当時は男性の地位が女性よりも圧倒的に高かった為、こうした制度設定になっていたのでしょう。
江戸時代の歴史を紐解いてみると、今の時代の不倫は社会的制裁を受けるとはいえ、「斬首」になることも殺される事もないわけですから、
やり直しは十分に可能であると言えるかもしれません。ただいつの時代も裏切られて、心に傷を負うパートナーがいる事だけは頭に入れた上で慎重に行動をしましょうね。