芸能人の不倫が週刊誌で話題になり、ニュースで何時間も不倫報道が続いたり、謝罪会見を行うといった不倫を許されないこの世の中、人類の歴史を見るとたくさんのパートナーを持つことが当たり前の時代もありました。人類の恋愛や不倫の歴史を紹介していきます。
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縄文時代の恋愛事情を知る事ができるものは非常に貴重で、数少ない情報からは集落のリーダーが、女性を管理したと言われています。集落の者同士が交配することが主な繁栄方法だったり、現代のようにパートナーを持つことは非常に稀だったと言われています。遠くから食事や荷物を運びに来た男の人と取引をして、集落の娘との交配をさせて子供を産ませていた、とも言われています。一説によると縄文時代には石器を上手に作れる人がモテたとか。この様に管理されていたことから、様々な憶測や説がありますが、縄文時代に自由な恋愛事情はなかったと言われています。
平安時代の一夫多妻制でした。男性が女性の家に通い、男性が手紙を送って付き合うことを始めるのが普通でした。平安時代の未婚の女性は、家から出ずに顔も隠して男性が通ってくれるのを待つ。という今とは変わった歴史がありました。男性は顔もわからない女性のために、ラブレターを書いて家に届けました。女性がその手紙を気に入ったら、お互いにすぐ体を重ねます。その後にお互いに問題がなければ結婚、という現代の日本の恋愛のスタイルとは少し違った流れがありました。平安時代では体の相性を極めて重視していた背景があり、良ければ結婚しても問題ないと考えられていたためです。
不倫に対する罰則ができてきたのも江戸時代からです。不倫により死罪など重すぎる偏った罪がありました。当時は女性が男性よりも少なかったことから、女性が恋愛の主導権を握っていました。武家の場合は完全に政府や幕府で決められていた恋愛事情でしたが、庶民の場合は恋文から始まり、出会いを重ねて付き合いを始めるというもの。ここから段々と恋愛や不倫と呼ばれるものが形を表しています。
明治時代でも一夫多妻制はありました。明治時代には江戸時代と比べ死罪など偏った形はなくなりました。一夫多妻制が認められる家庭もある中で、不倫の罰則も存在していて現代に向かって徐々に形ができていく歴史が見えてきます。
昭和時代になると一夫多妻制は認められなくなり、男女平等の恋愛に向けて変わっていきます。当時の俳優は浮気や不倫は当たり前でした。これは俳優として、インターネットなどが無い時代に名を売るためでもあったと言われています。そして平成になっても俳優の不倫や浮気の注目を集めていました。謝罪会見などが多く放送されたのもこの頃からでした。平成のインターネットの進化によって不倫や浮気などは大きく叩かれる時代になっていきます。また浮気や不倫で名を売るとスポンサーが叩かれる、ということも増えてきたために不倫が当たり前という事実も少なくなりました。
平成から令和になった今、不倫をしたら許されない風潮がどんどんと強くなっています。俳優など芸能人はもちろん、一般の方でも不倫をしたら許されない風潮は強いです。インターネットで誰でも声を上げられるためです。一般人でも炎上したりすると、身元の特定や職場が判明することを恐れる以上、今後はさらに不倫への風当たりは強くなるでしょう。ただ江戸時代などを見ると不倫をすると死罪、という風潮があっても不倫を行っていた人がいたので、どれだけ風当たりが強くても不倫はなくなることはないでしょう。